やまだのお部屋

ARTICLE PAGE

2006.8.26 AM9時56分 天国へ・・・

昨日(2006.8.26)AM9時56分頃、やまだは虹の橋へ旅立ちました。

息を引き取る前の二日間は酸素室での吸引では足りず、内径6ミリのチューブから直接酸素を吸って最後まで頑張りました。
チューブは24時間ずっと鼻先・口元へ手で添わせていました。
少しでもチューブが鼻先から離れると苦しそうに喘ぎながら、時には自分からチューブへ鼻をくっつけて吸っていました。

(ここからは少しツライことも記録として書きたいので、予めご了承くださいませ)

酸素室を設置してから二日間位は、酸素を充満させて入れてあげると気持ち良さそうに目を瞑ってすやすやしたときもありました。
でも、やはり慣れないためかお気に入りのテーブルの上やテレビの裏に行きたがり、1・2時間もすると出てしまうようでした。
動いたりしなければ酸素室の外にいても比較的呼吸は落ち着いていたので、無理に閉じ込めることはせず好きにさせてあげていました。
酸素濃度の違う中と外を出たり入ったりさせるのはよくないと分かっていたのですが、もうやまだの嫌がることをしたくないと思っていたんです。
でも、酸素室の外にいるときもちゃんと10分おきに発作を起こしていないか逐一監視体制をとっていました。

呼吸が落ち着いているときは開口呼吸はしていません。
それが一つの目安だったわけですが、25日からは開けっ放しになり最後まで閉じることはありませんでした。
約二日間、やまだは酸素濃縮器から噴出される酸素だけで生きていたのかもしれません。
きっと、酸素濃縮器がなければもっと早く息を引き取っていたかもしれませんが、反対にあんなに苦しむまでやまだを生かした飼い主としてのエゴだったのかも・・・と思う自分がいます。
たった二日間、されどやまだにとっては地獄の時間だったのかもしれないのかと思うと・・・。

急変したのは25日夜9時半頃、テーブルの上で酸素吸入させていると発作を起こしました。
それでも動くやまだにあわせて鼻先にチューブを持っていって酸素を吸わせていると、落ち着いてきました。
だいたい発作が起きるとこの繰り返しでした。
でもこのときはいつもと違いました。
やまだは失禁してしまったんです。
そのままにしておくこともできないので、やまだの頭が上下に動かないほど落ち着いてきたのを確認してからチューブを固定し、急いで拭きました。
このときは何とか事なきを得ましたが、内心もう最後のときも近いのか・・・と思いました。

正直いうと18日に開口呼吸を初めてしたときからずっと、真夜中だろうが日中だろうが30分と熟睡したときはありませんでした。
ちょっと目を瞑ってみても1分としないうちにすぐハッと目が覚めたり、やまだがほんの少し物音を立てただけでビクッと体が跳ね起きるようになっていました。
それが24時間酸素吸引をさせるようになってからは、1分と続けて目を瞑ることなんて許されなくなりました。
それがどうとかじゃなくて、25日夜10時半近くに主人が帰宅すると、こんなときになってどっと睡魔と疲労が押し寄せてきたんです。
「あーやばいなぁ・・・。こんな急変したときに・・・・」もう若くもないので精神力で体力をカバーできるほど持て余してはいないよなぁと思ったんですが、そんな弱音を吐いてみたところでやまだはもっと苦しい痛みに耐えているんだ!と思えば乗り切れるものなんですね。

主人が寝る前30分くらい代わってくれて、(さすがに朝7時に家を出て夜23時前後にいつも帰宅する主人に頼めません)少し体力が回復して頑張りました。
オレンジの電球だけ点けた部屋のテーブルの上にやまだ、そしてチューブを鼻先に絶えず持っていってる私・・・。
チューブはもうこのときは鼻先よりも口元へもっていっているときが多かったです。

そして数時間が経ってまた発作がありました。
テーブルから降りたがるので押さえ込むこともできずにいると、第2のお気に入りの場所トイレの前に移動しましたが、酸素吸入させないわけにはいかなかったのですぐテーブルの上に移動させました。
主人を起こして二人で様子を見ていたら、また失禁しました。
主人がいてくれたので酸素吸入は主人に頼み、私はすぐ拭いてあげることができました。

で、私の睡魔もおそらく頂点に達しようというとき、テーブルの上に上下分割できるケージの上半分を置いて、簡易酸素室を別にまた作りました。
もしも私の手元がガクッと落ちて、チューブが外れたら・・・と思ったからなんです。
主人は翌日というかもう明け方でしたが、仕事もあるので2・3時間ですが寝てもらいました。
入り口のビニールシートの隙間から手を入れて、やまだの口元へチューブを持っていくこと30分。
主人が「もう中は酸素充満している頃だから休んだら」と親切に声をかけてくれました。
でも、ずっと開口呼吸をし続けているので止めることができませんでした。
それから更に30分経って1時間、主人も「もう酸素がどうとかじゃなくて肺の機能の問題だから、中にいるなら口元へやんなくても・・・」と再度いわれましたが、どうして止めることができるでしょうか。
あんなに苦しそうにハァーハァーと口で呼吸しているのに・・・。

そしてまた酸素吸入を続けていると、どうやらそのケージの中にいることもなんだか嫌がるようになり、苦しそうにしているのを見かねてケージを取っ払ってもらいました。
閉じ込められているのがきっともうだめだったんだと思います。
そのとき、なんだか私の鼻の中が温かくなったなぁと思ったんです。
もう常に泣いていたので鼻水だろうと思っていたんですが、滴り落ちるほどの鼻血でした。
主人に代わってもらいトイレに行きました。
主人も「すごい疲れているだろうから休んだら」というのですが、じゃぁこのチューブは誰がやるの?といえない言葉を飲み込んで、やり続けました。

そして主人はほんの少しだけ体を休めて起床の時間を迎えました。
もう開口呼吸だけになっているし、あんな発作を起こして失禁もしているため、きっともうあまり長くないと主人にいいました。
主人も「きっとそうだと思う、おそらく俺が会社に行っている間に息を引き取ると思うけど、もし○○(私)が疲れて酸素を上げ続けられなくなってもそれはもう仕方のないことだから。これ以上はもうやまだを苦しませるだけだと思うし、○○はよくやってくれたよ」と言われました。
でも、どうして私が酸素を上げないことでやまだを死なせること(楽にさせることかもしれないけど・・・)なんてできるでしょうか。
苦しんでいたとしても、どうして命綱を私が切ることができるでしょうか。
それが安楽死に繋がるとわかっていても、そんなこと私にできるはずもありません。
どんなに睡魔と闘っても決してこの手は離さない!と心に決めていたんです。
そして主人は最後の別れを惜しむように出て行ってしまいました。

主人は本当に辛かったと思います。
できる事ならずっと一緒にいてあげたかったろうし、あんな状況で仕事なんて手につきっこないはずです。
まして朝も早よから出勤し、夜も遅くまで働いて帰宅しても、ごはんを食べてお風呂に入って寝たらすぐに翌日です。
この日だってほとんど寝ていないに等しかったわけで・・・。

主人がいなくなった朝7時。
気を引き締めてやまだに酸素吸入をしていました。
9時過ぎになって頻繁に発作を起こすようになりました。
そんなやまだの姿を見て私は神様にお願いしました。
「もうやまだがこのまま苦しんでいるだけなら、どうかどうか楽にさせてあげてください」と・・・。

そしてやまだはちらちらとケージの酸素室を横目で見ては、テーブルから降りたがるような気配を感じました。
私のいる反対のテーブルの向こう側にケージがあるため、もし仰け反ったりして発作があったとき落ちてはいけないと思い、敷き布団を急いで持ってきて敷きました。
案の定、やまだはすぐ降りたがったので布団の上に下ろして吸引させたんですが、どうしてもケージの酸素室に行きたがったんです。
でも、このときはもう直接吸引をさせていたのでケージの中には酸素が充満していないし、まして充満していたとしてももう直接吸引でないとやまだは体に酸素を取り入れられなかったんです。
ケージの中に入ってしまうと、直接吸引させるのが少し困難なため本当は入ってもらいたくありませんでしたが、もうこのときチューブの存在をすごく嫌がるようになっていたので、仕方なく好きにさせてケージの中に手を伸ばして吸引させました。
思えばこの数時間くらい前からやまだは、時折チューブに猛烈に噛み付いては手で追い払ったりもしていました。
それでもほとんどはもう嫌がる気力もないように吸い続けてくれていたんです。
今にして思えばもしかしたらやまだは「もう酸素はいらないよ、おかあさん」と私に言っていたのかもしれません。

ケージの中に入って1・2分すると、また中にいることを嫌がるようになりました。
閉じ込められているのが嫌ならと、上下半分割できるケージなので急いで上半分を取っ払ってあげようとしました。
しかし、下のほうの隙間から入ってくる明かりを嫌がるだろうからと、わら半紙で目張りしていたんですが、それが仇になりました。
ケージの割れ目に目張りのテープを張っていて、すぐに外せなかったんです。
片手でやまだに酸素吸入、もう片方の手でテープを外して、ケージの上半分を取り外せるようになったときには、すでに最後の鳴き声を聴いた瞬間でした。
大きくかすれた声で「キャイン」と聞こえました。
その1・2秒後、体が硬直し瞳孔が開きました。
それでも急いで口の中へ酸素を入れて、心臓マッサージをしました。
2・3秒後、ハァーと息を吹き返したんです。
それでもまだ呼吸は戻っていなかったので、心臓マッサージを続けました。
するとまたハァーと・・・。
それからはもう瞳孔が開きっぱなしで戻らないことが分かり、もっと心臓マッサージも続ければよかったのかもしれませんが、朝主人が言った言葉を思い出し、これ以上やまだを生かしても苦しめるだけだよね、と自分に言い聞かせるように手を止めました。
こうしてやまだの最後の日は終わりました。
時計を見ると9時56分でした。

まだ私にはやらなければならないことがありました。
かねてから主人に言われていた、もしものときはすぐ会社に連絡するということです。
私は以前主人にこう話したことがありました。
もし主人が会社に行ってまだ間もない時間に最後のときを迎えたら(現実になりましたが・・・)、主人には会社が終わる頃に連絡してあげようと。
それは、仕事が始まってすぐそんな連絡をもらえば、その日一日仕事が手につかなくて困るだろうと思ったからなんです。
朝連絡をしてその日早退して帰ってくる、そんなことが可能な会社に勤めていれば私もすぐ連絡するだろうと言いました。
主人の会社はそんなことは絶対に許されないところなんです。
このことは本当は話すはずではなく私の心の中でだけ決めていたんですが、ふと最後のときの連絡の話になり喋ってしまいました。
主人はすぐに連絡して欲しいといいました。
それは少しでも早く連絡をもらえれば、やまだのお葬式の日の休みを調整しやすいからと。
突如休みをもらう、そんなことも許されない会社なのです。

主人の会社へ電話しました。
これが初めてのことです。
呼び出してもらうまではわりと平静を装おうことができたと思います。
でも、主人が電話口に出た瞬間いきなり号泣し「やまだが・・・やまだが・・・」しか出てきませんでした。
仕事中だし長電話できないからと思うと、最後の瞬間のことをかいつまんで話すしかできませんでした。
主人に「よくやってくれたし、○○(私)のせいじゃない。やまだにとってもそれでよかったんだ」と。
「なるべく早く帰れるようにするから」と言われて切りました。
この日の帰宅時間は夜10時頃、いつもより若干早いといったところです。。。

電話を切るとしばらく呆然として動けませんでした。
でも、やまだを籠に移してあげたいと思って動き始めました。
まだ温かいやまだを抱っこしました。
思えば、やまだを手術してからこうして思いっきり抱っこできたのははじめてです。
手術の痕が傷むだろうか、肺転移してからは抱っこしたら肺に負担がかかるだろうか、どんな風に抱っこしたらいいのか・・・と思ったらずっとできませんでした。
頭のまだ座っていない赤ちゃんみたいに、グラグラと動く頭を抑えながら抱っこしました。
「手術してから痛くて苦しくてつらい思いしかさせなかったね、本当にごめんね、やまだ・・・」
ずっとずっと謝って涙でやまだの体をぬらし、数十分過ごしました。
だけどあまり長くはそうしていられません。
硬直は1.2時間で始まってしまうと聞いたことがあります。
籠に移して体を拭いてあげました。
2・3日前からニュートリカルとナチュラルバランスを混ぜたものを強制的に食べさせていたので口元が少し汚れていたし、よだれやチューブに噛み付くとき私の指を噛んで出た血が少しついていたので拭きました。
爪も切りました。切った爪はなんとなく捨てられずに取って置いています。
こんな風にやまだをお世話するのは初めてです。
やまだは本当にお利口さんで頭がよく、こんなに手のかからない猫はおそらくいないんじゃないかと思うくらいでした。
ワガママし放題のドリルとは大違いです。

主人は帰ってくると着替えもせず、真っ先にやまだのところへきて泣いていました。
私はずっと黙っていました。
最後のときの話を伝えなければいけないけど、もう少し落ち着いたらにしようと思いました。

一日経った今日27日、本当に手間のかからなかった空気のような存在のやまだが居なくなった現実は、あまりにも大きすぎます。
泣いても泣いても涙はどこからともなくあふれてくるものなんですね。
一体どこにそんなにあるんだろうかと思うほどです。

やまだは私のことを気遣って、看病らしい看病をさせないようにあっという間に逝ってしまったのでしょうか。
ブログのタイトル「やまだの闘病記」ですが、闘病記とは名ばかりで私は一体やまだのために何をしてあげられたでしょうか。
今はただただやまだにごめんね、としかいえません。
はじめてうちに来たときから最後まで、やまだは本当に手間のかからない子でした。

お葬式は明日の予定です。(主人の休みがとれなかったので)
今は保冷剤で体を冷やして傍にいますが、明日には居なくなってしまうのかと思うとまたつらいです。
私の心の中にはずっとずっと居続けていますが、それでもやはり辛くて耐えられません。
本当に苦しくて苦しくて、私も虹の橋に行きたいくらいです。
それでもやまだの子供たちは3頭いますので、面影を見つめながら今日も全部で7頭の子たちの世話を一生懸命しなければと思うように頑張ります。

大好きなやまだ、本当に本当に辛くて苦しくさせてごめんね。
私がそっちに行くまでしばらく待っていてね。
また再び逢える日まで・・・
ありがとう幸せな時を。
スポンサーサイト

乳腺腫瘍

0 Comments

Leave a comment